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中国少数民族 附:同一覧表

中国4000年

殷墟

中国歴史王朝順序歌


4.中国少数民族 附:同一覧表 2001年7月31日 TOP  

 

 古来、数多の民族が興亡を繰り返した巨大多民族国家・中国では、漢族以外に55の少数民族が存在する。一覧表にも見られるように、言語的にも非常に豊富であり、北方には、満州族、モンゴル族、ウイグル族などに代表されるアルタイ語族、若干だがインド・ヨーロッパ語族も存在し、南方には、漢語と共に漢チベット語族に属するチベット・ビルマ諸語、タイ諸語、若干だが南アジア語族が見え、台湾には南島語族とも言われるマライ・ポリネシア語族も存在する。まさに、アメリカ大陸とアフリカ大陸の言語をのぞく、世界でほとんどの言語を網羅しており、これほど多彩な語族をまとまった形で抱え込んでいる国は他に存在しない。

 

3.中国4000年 2001年5月6日 TOP  

 

 よくコマーシャルなどで、「中国4000年の・・・」といったフレーズが使われるが、なぜ「中国4000年」なのか?と質問を受けたことがあるので、一度これについて書いてみたい。

 一言で言えば、「中国4000年」というのは、中国文明4000年ということである。

現在、日本の学界では殷(商)王朝をもって確認される中国最古の王朝としている。王朝=国家の成立は文明発生の一つの指標とされ、殷の成立は紀元前1600頃、ざっと3500年ほど前のことである。それをもって、中国3000年と称する向きも日本にはあるようだが、やはりこれは短すぎるだろう。

では3600年を四捨五入で切り上げて「4000年」と称するのかというと、これも違う。先ほど、「確認される中国最古の王朝」と書いたが、殷の前には「夏」という王朝があったとされている。日本の学界では、夏の承認に慎重だが、中国の学界では夏を実在のものと考えている。その夏王朝は紀元前2000年頃、ざっと今から4000年前に成立したと言われている。

そうすると、「中国4000年」というのは、まだ確認されていない伝説を根拠としているのかというと、別にそう言うわけでもない。実際、中国ではその夏の時代に相当するような城壁遺跡などが発掘されているのであり、文明の開始はと言うと、4000年前どころか、「中国5000年」でも、そんなに大げさな数字ではないかもしれない。

かつて「伝説の王朝」と言われた殷が考古発見によって確認されたように、夏の実在を証明するような遺跡も遠からず発掘されるかもしれない。また、夏・殷のような黄河文明遺跡だけでなく、近頃、注目されているのは、紀元前12000年前頃に稲作が始まったという長江文明の存在である。どうも、定説に対して、長江文明の方が黄河文明より古いらしく、こちらの方の発掘・研究も待たれるところである。

 

2. 2001年4月30日 TOP  

 

 少し前のニュースになるが、3月29日、「中国20世紀100の考古大発見」との選評会が北京で開かれ、殷(商)代の遺跡「殷墟(いんきょ)」が秦の始皇帝陵の兵馬俑(よう)や北京郊外・周口店遺跡の北京原人化石などを抑えて最高票数を獲得、1位に輝いた、という。
 この選評会は中国社会科学院が主催。全国から集まった専門家が「科学的価値や国内外に与えた社会的影響」などを基準に選んだという。

 確かに、規模の壮大さ。見事さという点では、殷墟よりざっと千年新しい始皇帝陵の方が上であるが、学術上、国内外に与えた影響というと、殷墟発見の衝撃の比ではないだろう。甲骨文の発見と言い、ややもすれば伝説視されていた殷(商)王朝の実在を証明し、『史記』「殷本紀」に記された史実を証明したのである。

 

1.中国歴史王朝順序歌 2001年4月4日 TOP  

 

 4000年の歴史の中で、王朝がめまぐるしく興亡した中国。その王朝の順序を覚えるのは特に興味がない限り、なかなか覚えられない。中国では、「中国歴史王朝順序歌」のようなものを作って、歌にして子供たちに教えているようだ。

 「中国小学校社会教科書」との副題を持った小島晋治監訳『わかりやすい中国の歴史』(明石書店 2000年11月10日)によると、次のような歌らしい。今のところ原文、曲ともに不明。識者の教授を請う。

 

  夏商と西周、

  東周は二期に分かれ、

  春秋と戦国、

  一統して秦両漢、

  三分して魏蜀呉、

  両晋は前後に延びて、

  南北朝並立す、

  隋唐五代と伝わり、

  宋元明清の後、

  王朝はここに至って終わる。